金子兜太百句を読む 池田澄子  霧の村石を役うら父母散らん  句集『蜿蜿』池田 「父母散らん」で「投うらば」ですから、この「らば」のあとは、だから石は投げない、ですよね。金子 はい。そのとおり。それぐらい、はかない存在になっちゃっているということだか ...

 金子兜太百句を読む 池田澄子  朝はじまる海へ突込む鴎の死                  「金子兜太句集」池田 これはよく言われていますが、いろんな非業の死などを見て、そして今を生きている。生きなおす、そういう意味にとっていいんでしょうか。金子 そうだ。映像 ...

  金子兜太百句を読む 池田澄子  湾曲し火傷し爆心地のマラソン    『金子兜太句集』                       金子 これはまあね、極め付けだ。まあ前衛俳句なんて言われるのはこういう句からです。これと「華麗な墓原」と。ちょうど神戸から ...

金子兜太百句を読む 池田澄子   銀行員ら朝より蛍光す烏賊のごとく        『金子兜太句集』                            池田 よく理解されましたね、この句。ちゃんと有名になりました。金子 初めっから、銀行員を皮肉ってるとい ...

     金子兜太百句を読む 池田澄子           白い人影はるばる田をゆく消えぬために            『少年』                            金子 これは永田耕衣がえらい褒めた句なんだ。これを主題に彼、評論を書いてますよ。池田 ...

金子兜太百句を読む 池田澄子    暗闇の下山くちびるをぶ厚くし  句集『少年』                         金子 これは好きな句だ。池田 これは、昔はよく分がらなかったんです。「くちびるをぶ厚くし」の意味が。ごろごろした坂道をドンド ...

    死にし骨は海に捨てべし沢庵噛む       『少年』                             池田 先生この「死にし骨は」というのは……。金子 文法的におかしい?池田 この「死にし」は、自分か死んだときですね?金子 自分のことです ...

 金子兜太百句を読む 池田澄子 蛾のまなこ赤光なれば海を恋う    『少年』                             金子 これは郷里に、夏休みに帰ってたときの句です。秩父に。池田 この辺り、秩父に帰ったときの句がたくさんありますね。金子 ...

木曾のなあ木曾の炭馬並び糞(ま)る     金子兜太      『少年』            池田 この「木曾のなあ」はねえ……。やられました。金子 これが最後の句、兵隊に行く前の。大学は繰り上げ卒業で、一人旅を牧ひでをというのが名古屋にいて、そこに泊まって ...

金子兜太百句を読む 池田澄子きょお!と喚いてこの汽車はゆく新緑の夜中                         金子兜太句集『少年』池田 「この汽車が行く」の「この」ということは、作者はこの汽車に乗っている。その夜汽車は新緑の中を喚きながら走っている ...

    草もわたしも日の落ちるまへのしづかさ この句を書きとめた日の、昭和八年(一九三三)十二月二十七日には、次のようなことを書いている。「何といふ落ちついた、そしてまた落ちつけない日だらう。 私は存在の世界に還つてきた。Seinの世界にふたゝびたどりついた ...

  「放浪行乞 山頭火一二〇句」より 集英社 1987刊  酔へばあさましく酔はねばさびしく 昭和十二年(一九三七、五十六歳)十二月十一日の句。この年の七月七日、蘆溝橋で日中両軍が衝突し、これが日中戦争の発端となった。山頭火は、七月十日のところに「北支那の形勢 ...

   「放浪行乞 山頭火一二〇句」より 集英社 1987刊      めざめたらなみだこぼれてゐた これも昭和八年(一九三三)十二月二十七日のところに書きとめられてある。この日から風邪気味で床に就いていた。その病中吟で、つづけて、  なみだこぼれてゐる、なんのなみ ...

「放浪行乞 山頭火一二〇句」より 集英社 1987刊           どかりと山の月おちた 昭和七年(一九三二)九月十四日の句。其中庵に入る日が間近に迫り、樹明、敬治、冬村といった若い俳句仲間が庵の修理などをしてくれた。自分は小郡町なる武波憲治の家の裏座敷に仮寓 ...

 「放浪行乞 山頭火一二〇句」より 集英社 1987刊山頭火:直筆の未発表句 句会仲間の子孫宅に 大分(毎日新聞) [2012年03月25日  ふるさとの言葉のなかにすわる 昭和七年(一九三二)五月二十一日、粟野(現、山口県豊浦郡豊北町)での句。いよいよ故郷に近づいてい ...

「放浪行乞 山頭火一二〇句」より 集英社 1987刊  鉄鉢の中へも霰   (てつぱちのなかへもあられ) 昭和七年(一九三二、五十一歳)一月八日の作。第三回行乞途上の作で、前句同様、(うしろ姿のしぐれてゆくか) 山頭火の代表作の一つといえる。 この句については、山頭 ...

「放浪行乞 山頭火一二〇句」より 集英社 1987刊   写真の説明 近木圭之介(俳号・黎々火)という二十歳にもならない青年が、2002年(平成14年)下関で発行された「燭台」という文芸誌の中で語っている。『(あの写真は)山頭火が我が家に初めて泊まってくれた翌日でし ...

「放浪行乞 山頭火一二〇句」より 集英社 1987刊 はてもない旅の汗くさいこと 昭和五年(一九三〇)九月十七日、宮崎県京町(現、えびの市向江)で書きとめた句。もちろん、ここでつくったという保証はない。第一回行乞の折にも「この旌、果もない旅のつくつくぼうし」と ...

「放浪行乞 山頭火一二〇句」より 集英社 1987刊      しづけさは死ぬるばかりの水がながれて この句が『行乞記』の冒頭に書かれていることはすでに述べたが、山頭火はこれを九月十四日の日記のなかで「呪ふべき句を三つ四つ」の前書とともに再び書きとめている。「呪 ...

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