金子兜太百句を読む 池田澄子 霧の村石を役うら父母散らん 句集『蜿蜿』池田 「父母散らん」で「投うらば」ですから、この「らば」のあとは、だから石は投げない、ですよね。金子 はい。そのとおり。それぐらい、はかない存在になっちゃっているということだか ...
№10 兜太百句を読む「朝はじまる」
金子兜太百句を読む 池田澄子 朝はじまる海へ突込む鴎の死 「金子兜太句集」池田 これはよく言われていますが、いろんな非業の死などを見て、そして今を生きている。生きなおす、そういう意味にとっていいんでしょうか。金子 そうだ。映像 ...
№9 兜太百句を読む「湾曲し」
金子兜太百句を読む 池田澄子 湾曲し火傷し爆心地のマラソン 『金子兜太句集』 金子 これはまあね、極め付けだ。まあ前衛俳句なんて言われるのはこういう句からです。これと「華麗な墓原」と。ちょうど神戸から ...
№8 兜太百句を読む「銀行員ら」
金子兜太百句を読む 池田澄子 銀行員ら朝より蛍光す烏賊のごとく 『金子兜太句集』 池田 よく理解されましたね、この句。ちゃんと有名になりました。金子 初めっから、銀行員を皮肉ってるとい ...
№7 兜太百句を読む「白い人影」
金子兜太百句を読む 池田澄子 白い人影はるばる田をゆく消えぬために 『少年』 金子 これは永田耕衣がえらい褒めた句なんだ。これを主題に彼、評論を書いてますよ。池田 ...
№6 兜太百句を読む「暗闇の下山」
金子兜太百句を読む 池田澄子 暗闇の下山くちびるをぶ厚くし 句集『少年』 金子 これは好きな句だ。池田 これは、昔はよく分がらなかったんです。「くちびるをぶ厚くし」の意味が。ごろごろした坂道をドンド ...
№4兜太百句を読む「死にし骨は」
死にし骨は海に捨てべし沢庵噛む 『少年』 池田 先生この「死にし骨は」というのは……。金子 文法的におかしい?池田 この「死にし」は、自分か死んだときですね?金子 自分のことです ...
№3 兜太百句を読む「蛾のまなこ」
金子兜太百句を読む 池田澄子 蛾のまなこ赤光なれば海を恋う 『少年』 金子 これは郷里に、夏休みに帰ってたときの句です。秩父に。池田 この辺り、秩父に帰ったときの句がたくさんありますね。金子 ...
№2 兜太百句を読む「木曽のなあ木曽の」
木曾のなあ木曾の炭馬並び糞(ま)る 金子兜太 『少年』 池田 この「木曾のなあ」はねえ……。やられました。金子 これが最後の句、兵隊に行く前の。大学は繰り上げ卒業で、一人旅を牧ひでをというのが名古屋にいて、そこに泊まって ...
№1 兜太百句を読む 「きょお!と喚いて」
金子兜太百句を読む 池田澄子きょお!と喚いてこの汽車はゆく新緑の夜中 金子兜太句集『少年』池田 「この汽車が行く」の「この」ということは、作者はこの汽車に乗っている。その夜汽車は新緑の中を喚きながら走っている ...
№12「」放浪行乞・山頭火」 金子兜太
草もわたしも日の落ちるまへのしづかさ この句を書きとめた日の、昭和八年(一九三三)十二月二十七日には、次のようなことを書いている。「何といふ落ちついた、そしてまた落ちつけない日だらう。 私は存在の世界に還つてきた。Seinの世界にふたゝびたどりついた ...
№11「」放浪行乞・山頭火」 金子兜太
「放浪行乞 山頭火一二〇句」より 集英社 1987刊 酔へばあさましく酔はねばさびしく 昭和十二年(一九三七、五十六歳)十二月十一日の句。この年の七月七日、蘆溝橋で日中両軍が衝突し、これが日中戦争の発端となった。山頭火は、七月十日のところに「北支那の形勢 ...
№10「」放浪行乞・山頭火」 金子兜太
「放浪行乞 山頭火一二〇句」より 集英社 1987刊 めざめたらなみだこぼれてゐた これも昭和八年(一九三三)十二月二十七日のところに書きとめられてある。この日から風邪気味で床に就いていた。その病中吟で、つづけて、 なみだこぼれてゐる、なんのなみ ...
№9「」放浪行乞・山頭火」 金子兜太
「放浪行乞 山頭火一二〇句」より 集英社 1987刊 どかりと山の月おちた 昭和七年(一九三二)九月十四日の句。其中庵に入る日が間近に迫り、樹明、敬治、冬村といった若い俳句仲間が庵の修理などをしてくれた。自分は小郡町なる武波憲治の家の裏座敷に仮寓 ...
№8「」放浪行乞・山頭火」 金子兜太
「放浪行乞 山頭火一二〇句」より 集英社 1987刊山頭火:直筆の未発表句 句会仲間の子孫宅に 大分(毎日新聞) [2012年03月25日 ふるさとの言葉のなかにすわる 昭和七年(一九三二)五月二十一日、粟野(現、山口県豊浦郡豊北町)での句。いよいよ故郷に近づいてい ...
№7「」放浪行乞・山頭火」 金子兜太
「放浪行乞 山頭火一二〇句」より 集英社 1987刊 鉄鉢の中へも霰 (てつぱちのなかへもあられ) 昭和七年(一九三二、五十一歳)一月八日の作。第三回行乞途上の作で、前句同様、(うしろ姿のしぐれてゆくか) 山頭火の代表作の一つといえる。 この句については、山頭 ...
№6「」放浪行乞・山頭火」 金子兜太
「放浪行乞 山頭火一二〇句」より 集英社 1987刊 写真の説明 近木圭之介(俳号・黎々火)という二十歳にもならない青年が、2002年(平成14年)下関で発行された「燭台」という文芸誌の中で語っている。『(あの写真は)山頭火が我が家に初めて泊まってくれた翌日でし ...
№5「放浪行乞・山頭火」 金子兜太
「放浪行乞 山頭火一二〇句」より 集英社 1987刊 はてもない旅の汗くさいこと 昭和五年(一九三〇)九月十七日、宮崎県京町(現、えびの市向江)で書きとめた句。もちろん、ここでつくったという保証はない。第一回行乞の折にも「この旌、果もない旅のつくつくぼうし」と ...
№4「」放浪行乞・山頭火」 金子兜太
「放浪行乞 山頭火一二〇句」より 集英社 1987刊 しづけさは死ぬるばかりの水がながれて この句が『行乞記』の冒頭に書かれていることはすでに述べたが、山頭火はこれを九月十四日の日記のなかで「呪ふべき句を三つ四つ」の前書とともに再び書きとめている。「呪 ...