海程50周年記念 「秩父音頭」 この峡(かい)の水上にゐる春の雷      金子 伊昔紅 作者伊昔紅は本名を元春といい、秩父盆地の中ほどにある皆野町皆野の開業医だった。医学校を出ると間もなく結婚し、陸軍軍医の兵役を丁えるとすぐ、上海に赴き、 ...

1 雁坂越え 甲斐が嶺(ね)を秩父へ越ゆる落葉かな     長塚 節 江戸のころ、甲州の川浦(現・山梨市)の番所から、秩父側の栃本(現・秩父市)の関所まで雁坂峠を上って、八里八町(約33キロ)。栃本の人たちは、この峠越えの道を「八里八町」とも呼んでいたよう ...

■1919 大正8年9月23日(秋彼岸)埼玉県小川町の母の実家で生まれる。育ったのは同県秩父盆地皆野町の父の家。父・元春(俳号・伊昔紅)、母はるの第一子。父は東亜同文書院校医として上海に在住。(写真 父の元春と兜太 上海にて)■1922 大正10 2歳母と ...

「金子兜太著・自選自解99句」は特別版がありました。写真の本物の色紙1枚が挟まれています。価格は?お高いです。 ...

 愁ひつゝ岡にのぼれば花いばら  蕪村『蕪村句集』にあって、並ぶように、「花いばら故郷の路に似たる哉」もある。双方ともに安永三、四(一七七四、五)年ごろ、蕪村が六十歳くらいのときの作と見られている。しかし、いま読んでも、すこし甘いとはおもっても、古くさい ...

         朝寝して白波の夢ひとり旅     兜太 ここ数年、細君が右腎摘出手術を受けたあと自宅療養しているため、旅はいつも一人である。そんなとき、ずっと以前に、たまたま一人で若狭に旅したときのこの句を思い出している。 若狭の旅は春も終りのころだった。民 ...

        坪碑(つぼのいしぶみ)公園に句碑があります 日本中央とあり大手鞠小手鞠   兜太 下北半島の根もとにある東北町の歴史公園に、坪碑(つぼのいしぶみ)を納めた建物がある。碑の高さ約一・六、幅一メートルほどで、「日本中央」の四文字が刻まれてあり、往古 ...

      東一華の花人体冷えて東北白い花盛り   金子兜太  句集「蜿蜿 えんえん」1968年 五月の初旬、東京を寝台列車で発って、翌日青森に着いた。三十年ほど以前のことだが、いまでも朝の車窓にひろがる〈東北の春〉の新鮮な空気が忘れられない。白い花盛り ...

 つばな抱く娘(こ)に朗朗と馬がくる   兜太 ついこのあいだ、放浪の俳人、井上井月のことで信州伊那を訪ねた折、写真家の唐木孝治さんから、「わたしの散歩道一一春」と題のある文と写真のコピーをいただいた。 三十年ほど前、わたしがいま住んでいる武蔵野の北・熊谷 ...

猪(しし)が来て空気を食べる春の峠  兜太 わたしの郷里は、関東平野の西にあたる秩父で、山国である。長い勤めのあと、業俳(プロの俳人のこと。江戸のころの言い方)の暮しに入るあたりで、そこの里山の中腹に山小屋を建てたのだが、自慢は、郷里を代表する山として親し ...

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