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    善長寺~館林文学のこみち    
沼初日渺々と人語わたりくる  前山巨峰

 はげ鷹となり牛となり釈迦となり    前山巨峰
 
  館林の禅刹善長寺の前山巨峰は、風邪のため大きなマスクをつけて、印度を歩きまわった。帰国して三年、大作「印度塵劫」を、自ら主宰する俳誌『ぬかるみ』に発表する。この句は、その終章の一句。

 この句にいたるまでに、前山巨峰は、四つの業を句にしていた。はじめにタジ・マハール。次に少年たち。「仏華も売り寄り来いきれる少年ら」ーむんむんする暑さのなかを寄ってくる少年たち。口臭、汗。かれらは仏華を売り、珠数を売り、錦蛇を首に巻きっけている。巨峰は錦蛇をこわがったため、少年たちにからかわれたりした。

 その次が、ヒンズー教の梵刹に見る「魔神娼神」「性教伽藍」である。「女神媚態民族の業裸身生み」とつくる。さいごが、癩。故宮崎松記博士が、これも故人となったネール首相の救援要請にこたえて建てた救センターを訪ねている。そして、施療につくす医師を見て、「生 きし仏身の医師花嗅ぎつ」と称えた。

 それら業の態様を集約するように、終章にきて、巨峰は書く。「鳥葬の腐肉の暑さ禿鷹ら」ー腐肉となって曝されている人間(その死)、それをむさぼる禿鷹の性(そして生)。掲記の句の冒頭の「はげ鷹」は、この〈業の禿鷹〉だった。

 それでは「牛」とはなにか。いうまでもなく聖獣「牛」である。巨峰はこういう美しい牛の句を書きとめていた。「合歓青葉白牛寄りぬ絵のごとく」。そして、「釈迦」とはなにか。この問いかけ自体がバカバカしいことだが、「印度塵劫」全体にわたって巨峰が求めていたものは、「青年釈迦」との対話だった。印度塵劫へのおもいは、青年釈迦塵劫へのおもいと重っていた、といってもよい。

 巨峰は、五比丘にむかっておこなわれた釈迦の説法(「初転法輪」)をふ
かく追想している。あるときは、釈迦への帰依厚いアショカ王をこころから偲ぶ。王の石柱の前に立ったときの、巨峰の姿勢はまったく若々しかった。

 つまり、こういうことであろう。巨峰も、巨峰を含めての「群生」も、業ふかき禿鷹であり、聖獣・牛であり、求める青年釈迦でさえありうる。同時にそうともいえ、順にそうなってゆくはず、ともいえ、ぐるぐると円環状に廻るともいえる。われ巨峰、その春秋(生の春秋)を経て、やがて死にいたるものだが、はたして、禿鷹にとどまるものか、牛になれるものかさてまた釈迦に到り得るものか。

 生の生の業のふかさは、求めとはちがった歩みになるかもし
れないが、その春秋を、生から死にむかって、「灼け」に「灼け」で、ひたすら歩むしかあるまい。印度を去る日を新たな出発の日として、とにかく歩み求めるしかない。

 そういう心意であろう。一見恣意的な、ただぶつけるようなことばの置きかただが、私はそこに、前山巨峰という禅僧の気力の横溢を見ている。

  aiku100