kyuutai
 
    第一句集 球體感覚


  天の川ねむりの四肢の獅子となり   加藤郁乎  

 この句も漂泊者の句で、加藤郁乎の初期句篇の、レトリックの装いすくない漂泊のロマンティシズム、ときにリリシズムの表出を注目した私は、その後の加藤の文学的放浪もたのしく見てきた。

この人の表現形式に対する気ままさは、まさに放浪であって、俳句の棲家も仮寓の感が
ある。しかし、そのすがたで発揮されるとりとめないひらめきに、無理に港を定めて碇をおろさせることは、愚望というものかもしれぬ。

 この句は、第一句集『球体感覚』のなかの「オオドレッ卜」の一句。そのあとの「候鳥伝」には、これも私が好きで、鑑賞文を書いたこともある「雨季来りなむ斧一振りの再会」がある。

ほかにも、この句集には好句がおおい。たとえば、「北朝や流れ高まる夕ひばり」「旅人手
を手にへんぽんと麦酒成る」「桃青む木の隊商の木をゆけり」「ライラック来 蟹胯の神ら」一一そして、第二句集『えくとぷらすま』には、「日は帰去来日は智恵の樹の望郷」がある。

 やがて、「膣の傾斜に非時(ときじく)の夏を毳立ててゐよう」ともなる。詩集『終末領』ともなれば、「やがて翰伝(はねでん)には約翰伝冒頭のこいこい」「一夫一妻/の多毛作に/選ばれた猿」となり、「春」の題で、「知ってるね/どうしても立たない少年/地軸のずれをうしろまえに」とやり、「茶飯事」の題で、「遂にちりれんげでなくなる/同類意識の多孔性/地球と水球」ともやる。
 
 加藤郁乎は都会の漂泊者である。ときじくの夏を膣の傾斜におもい、一夫一妻の多毛作やど
うしても立たぬ少年をおもいやる。空手の腕前を誇るかとおもえば、さまざまに変装して街をうろつき、形而上学をあやつる。多読博識がガソリンの自動車を走らせて、大都会のなかの〈形式の港〉を放浪し、精力的に射精する。酒ばかり飲んでいるから、うどん・そばしか食わない。

だから色は白い。ビルの頭をかすめる天の川の下で眠るときは、いつでも敵にとびかか
れるように手足をちぢめている。四肢(しし)が獅子(しし)だと駄洒落をとばすが、そこに油断というものはない。

 しかし、やがて熟睡すれば手足ものびる。横になった獅子のようにのばした手足に、サバンナの銀漢がおりてくる。ビルの頭の空からおりてくる。

aiku100