ネムノキ



   冬禽の嘴(はし)が一面空の貧      手代木唖々子(てじろぎ ああし)


 「禽」は禽鳥(鳥類の総称)のことで、冬のさまざまな鳥たちの嘴が、空一面にある感じ。私は一読したとき、水禽が嘴を空にむげている風景と受けとったが、それは誤読と知った。さまざまな冬の鳥たちの嘴が、空にさまざまに散らばっているのである。この「嘴が一面」という視覚のしぼりかたに詩がある。叙情の熱さがある。

 これにょって、「空の貧」がはっきり感受できる。空は貧しい。いちめんの冬鳥の嘴も、財ではなく、雑木の小枝のように枯れ松葉のように見える。作者手代木亜々子は秋田県仙北郡協和町稲沢に、戦争直後に入植した開拓農だが、その秋田地方の奥羽山脈にはいったあたりの冬空が、私の脳裡にひろがる。曇った空だろう。暗い貧しい空に、鳥たちも寒そうだ。

 手代木亜々子の開拓の苦闘は二十年ちかくもつづいた。かれの年譜には「収入皆無」の文字があり、夫婦で中学校分校の教師になり、どうやら生活していた時期もあった。「空の貧」は、同時に貧窮と労苦の自分の状態を映しているものであること、いうまでもない。空も貧しい、という感慨である。手代木の当時の生活を知らなくても、作者も貧しいと感得できるところが、この句の象徴力というものである。

 しかし手代木唖々子は頑張って、ついに酪農で成功した。その粘り強い農志向の精神が生みだした作品が、同じ郡内に、高橋紫衣風によって戦後間もなく開催された「さそり座」句会の人たちの注目するところとなったのは当然である。手代木が主催する俳句雑誌『合歓』に参加する人が増え、俳句をつうずる農民の連帯は、たとえば次のような卒直な作品を生みだしている。

 「憂鬱な囗よ青柿が地にならび」(紫衣風)、「月を摶つ尾花よ農夫は流浪はじめ」(斎藤昌美)。「足裏ほてる夜のしずかさ稲根ざす」(杉山北斗星)、「雪焼の首根短かし怒りの詩」(佐藤隆造)、「雲雀高し股ばさみ刈る羊の胴」(大河侃)、「稔らぬ稲にけものの息のオートバイ」(高橋千代司)、「ブルが拓きし酸土を削る妻の鍬」(但馬実)
aiku100

管理人注・兜太監修の現代歳時記に載っているこの句が好きです。
夕焼は艸負いかぶりても見ゆ