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寺田京子全句集 / 寺田京子 
2019 ( 平成31年・令和元年 )

群衆いま野鳥の羽音雪きたる   寺田京子

   寺田京子は札幌の女流。これは、冬くる札幌街頭での句であろう。
 北海道をおもうとき。私のなかに広大な原野がひろがる。北海道にいった最初のときの夏、千歳空港が濃霧にとざされて着陸できず、けっきょく二日も待たされてしまったのだが、この濃霧こそ原野の神の息吹きとおもったものだ。以来、私のなかの北海道の原野は神秘でロマンチックな想念を加えた。

 その後、狩勝峠を越えたときも、越えたあとに展開する十勝の野づらにおもいが走ってしまって、山のことは記憶に残らなかった。そして、夕暮の車窓のかなたに忽然とまぼろしのようにあらわれ、やがて中世の城郭都市に似た黒い高まりとなって釧路がちかづいてきたときの感動を、いまでもおもいだす。摩周から屈斜路湖とたどり、美幌峠に立ったときも、網走湖からトウフツ、ノトロ、サロマと湖がつらなるオホーツク海岸の原野を、まずおもってしまって、いまたどってきた阿寒の湖と、これからゆく予定のそれら想念のなかの湖とが、美幌峠なし
に、真ッ平らにつながっているようにおもえたものだ。

 そのせいか、この句の「野鳥」が、野生の鳥というよりも、文字面どおりの野の鳥と受けとれてしまって、「群集いま野鳥の羽音」と読んだ途端に、街並が野となり、そこをゆく群衆が野の鳥となって、いま降りはじめた雪に白くおおわれていった。「羽音」は、おおぜいの人の足音のながれか、それとも人々に降りかかる雪の音か、とおもいつつ、想望は雪のなかで羽摶き、羽づくろいする野の鳥にむかってひろがったのである。

 私はこの句を読むたびに、札幌は原野の街だとおもいかえし、雪がくるころの北海道をおもい、なにか清潔な思念の訪れを感じる。作者寺田京子は昭和五十一年(一九七六年)若くして病没した。句集に、『冬の匙』『日の鷹』『鷺の巣』がある。

管理人注・金子先生は寺田京子が好きでしたね。療養俳人として出発し、持病との闘いの中で自己をみつめる句を多く作った。「日の鷹がとぶ骨片となるまで飛ぶ」