gh-b-39

 高き菜水待つ胃の傷口洗らわんと  稲葉直
(いなば ちょく)  

 「胃の傷口」を具体的に受けとる。胃潰瘍かなにかの胃の手術でもしたあとか、潰瘍のような状態そのものかと勘ぐったりするが、「傷口」といえば刃物かなにかで切った感じだから、手術後の胃ということにする。その傷口が気になる。洗って、しゃんとした気分になりたい、ということだとおもう。これを抽象的に解して、「胃の傷口」を、不安とか罪の意識とかいうものの喩えというふうに扱うことになると、この書きかたでは大雑把すぎる。内容をよく知るための材料が不足、といってもよい。

 具体的に受けとったとき、「濤を待つ」といわず、ことさらに「高き濤」といったのはなぜかということになるが、これも卒直に読んで、作者の気合と受けとる。なみよ、たかだかときて、おれの胃の傷口を洗ってくれ、さっぱりしたい、すっきりして、バリバリ生きたい一一気合をいれて、作者は自分にいいきかせているのである。読むほどに濤高き青海原がひらけてくる。

  稲葉直は奈良の人で六十代。となれば古寺巡礼の句がおおくてもよさそうなものなのに、あまりつくらないのである。そのかわりに、こうした日常の句を多作し、時には、「潮だぶつき男一つの影と歩く」などと粋がったりしている。宜(むべ)むなる哉。

 稲葉直第一句集『寒崖』には、
「生きものとして水澗れをさかのぼる」があって、師の西村白雲郷の作「水洞れの水にて流れねばならず」をもじって自分の世界を書いていた。師以上の積極的な姿勢で、「生きものとして」この「水涸れ」の現実に立とうとし、現に立っている。そこからくることなのである。

管理人注・ 稲葉直・未刊現実主宰、海程同人(1912〈明45〉6. 2~‘99〈平11〉.4.23)
俺よ俺よローソクの火の揺れいるは  
「俳句空間」平元・3月
棺の角(かど)ガクとまがれば近道だ  「俳句研究」平元・3月号
この辞典おれ死ぬ日付どこにも無し  「現代俳句」平元・3月号
白髪ひとすじこきこき洗う春水で   「俳句」平2・4月号
根おろしの水気たよりにここまで老い 「海程」平2・5月号