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蝶の渦真白に迅し英子(ふさこ)なり  豊山千蔭

 亡き妻を憶う句。句集『螯の鋏』のなかにあるが、この句集じたいが亡妻追慕の一巻で、作者豊山予蔭は「あとがき」をこういうふうに書きだしている。
 風呂の湯を新しくして入った
 食卓に英子の遺影を飾った
 もっきりを一人で飲んだ
 明日は結納といふのにいっこう嬉しさは湧いてこない孤独感だけがこみ上げてくる外は雪である。

 再婚の夫人はくに。昭和四十七年(一九七二年)の先妻の急死から一年半たって再婚した。それから二年、くに夫人との生活が落着いた時期に、「英子と一縉のころの俳句、急死前後の感懐、追想などを一巻にまとめて供養のしるしとすることにした。」

 こうした経緯に窺えるものは、再婚後の夫妻の心意の確かさである。覚めた世界が二人のあいだに熟していたからこそ、英子追慕の情を惜しみなく吐露した句集がありえた、と私はおもう。

 掲記の句は、白い蝶が渦をまいてとぶ、その渦のなかに亡妻の面影を憶うもので、豊山千蔭の視力がかなりに弱い状態にあることを考慮すると、いっそう蝶の白い渦まきは模糊としてきて(それにつれて幻視の翳はふかまる。英子の幻の像がはっきり見えてくるのである。

 豊山予蔭は、「英子なり」というふうに、呼びかけるがごとく、自分に納得させるがごとき言いかたが好きとみえて、別にもつくっていた。「杭の頭に降りて積む雪英子なり」雪を頭にためてゆく杭の姿そのものを、英子と幻視しているのかもしれないが、掲記の句ほど焦点がはっきりしない憾みがある。しかし、両句に共通して私に感じられるものは、作者千蔭が住む東北の八戸の冬から春にかけての、地の冷え、陽のぬくもりであって、それとともに、それにのしかかるように、千蔭の叙情が重なってゆく、その厚さである。そのせいか、描かれているこ
とは甘美なのに、句に甘味がない。甘味などを超えた心情の真がある。このことは、「月の切株月の切株英子亡し」「霜に朝日余命四千日と思ひ」においてもいえるし、「走り根の背下つらぬき昼寝覚」では、もっとはっきりいえる。


俳誌「海原より」

  くにさんが二〇二一年八月二十四日、享年九十四歳で他界された。生まれも育ちも八戸市で、教師となり、生粋の八戸人で、穏やかな八戸弁(南部弁)の人であった。青森県俳句大会にいつも千蔭氏を車椅子に乗せて参加されていた。娘さんのお話によると、いつも仲睦ましく手をつないで、海外旅行に出かけ、中国や台湾に行き俳句を楽しんでいたという。俳句仲間から聞くと、千蔭氏が眼を患い盲いた時も車椅子を押し、東南アジアを巡り、俳句作りを献身的に支え、千蔭氏の分身のごとくであったと聞く。