カテゴリ: 兜太の語る俳人たち

 大空の青艶にして流れ星    高浜虚子  昭和三十年(一九五五年)といえば高浜虚子八十二歳のときだが、その年の九月九日、大麻邸での物芽会で三句つくった。この句はそのうちの一つで、ほかの二つも流れ星の句だったから、これが席題だったのだろう。いま開いているの ...

その腋も潔しわが行く手の海鳥(うみどり)    小川 国夫 「インド洋航行」の前書がある。船上での句で、間近に海鳥のとびかうさまを見ていたのだ。 海を旅する句といえば、私はすぐ、中村草田男の「秋の航一大紺円盤の中」と、篠原鳳作の「しんしんと肺碧きまで海のた ...

 蝶の渦真白に迅し英子(ふさこ)なり  豊山千蔭 亡き妻を憶う句。句集『螯の鋏』のなかにあるが、この句集じたいが亡妻追慕の一巻で、作者豊山予蔭は「あとがき」をこういうふうに書きだしている。 風呂の湯を新しくして入った 食卓に英子の遺影を飾った もっきりを一 ...

  飛騨古川の句碑建立の記念写真雑木山ひとつてのひらの天邪鬼  金子皆子 雑木山がひとつある。私は冬の雑木山をおもうが、季節にこだわる必要はない。また、平野のなかの遠方の雑木山が目にうかぶが、それら鑑賞者の自由。ポイントは雑木山が一つあるということ。「雑木 ...

  高き菜水待つ胃の傷口洗らわんと  稲葉直(いなば ちょく)   「胃の傷口」を具体的に受けとる。胃潰瘍かなにかの胃の手術でもしたあとか、潰瘍のような状態そのものかと勘ぐったりするが、「傷口」といえば刃物かなにかで切った感じだから、手術後の胃ということに ...

  蛇の腹纒つきて家野となりぬ   武田伸一 この「腹」が心憎い。蛇がまきつくのならまあまあ普通のことだが、「蛇の腹」がまきついたとなると、感触がまったくといってよいほど変ってくる。ひどく生臭くなり、確実に蛇にまきこまれてしまった鼠のように、家が身動きで ...

  いまだ独身群鶴を見て闇に眠る  淺尾靖弘「いまだ独身一こういう感慨を男がもつのはいくつくらいからだろうか。女性では二十代半ばくらいからか。男性では三十代にはいったあたりからか。最近の若い男女はもっと早いのかもしれない。浅尾靖弘はこのとき三十代後半だっ ...

寺田京子全句集 / 寺田京子 2019 ( 平成31年・令和元年 )群衆いま野鳥の羽音雪きたる   寺田京子   寺田京子は札幌の女流。これは、冬くる札幌街頭での句であろう。 北海道をおもうとき。私のなかに広大な原野がひろがる。北海道にいった最初のときの夏、千歳空港 ...

   冬禽の嘴(はし)が一面空の貧      手代木唖々子(てじろぎ ああし) 「禽」は禽鳥(鳥類の総称)のことで、冬のさまざまな鳥たちの嘴が、空一面にある感じ。私は一読したとき、水禽が嘴を空にむげている風景と受けとったが、それは誤読と知った。さまざまな冬の鳥 ...

     第一句集 球體感覚  天の川ねむりの四肢の獅子となり   加藤郁乎   この句も漂泊者の句で、加藤郁乎の初期句篇の、レトリックの装いすくない漂泊のロマンティシズム、ときにリリシズムの表出を注目した私は、その後の加藤の文学的放浪もたのしく見てきた。 ...

    善長寺~館林文学のこみち    沼初日渺々と人語わたりくる  前山巨峰 はげ鷹となり牛となり釈迦となり    前山巨峰   館林の禅刹善長寺の前山巨峰は、風邪のため大きなマスクをつけて、印度を歩きまわった。帰国して三年、大作「印度塵劫」を、自ら主宰 ...

   晩年の高柳重信 まなこ荒れ たちまち 朝の 終りかな         高柳重信 (Wikipediaにリンク) この句について私はこう書いたことがあった。「大正というヽ冬の午後の陽ざしのような年代に生まれた男たちのあいだにしか通用しないデカダンスの味わいなのか ...

金子伊昔紅 (1898-1977) 父・元春(俳号 伊昔紅いせきこう)は、秩父盆地(埼玉県西部)皆野町の開業医。自転車で往診していた。民謡・秩父音頭を楽しみ、俳句は水原秋櫻子に共鳴して支部句会を催していた。集まる者多く、人呼んで「皆野俳壇」と言う。戦前は男性のみ。 ...

            飴山 實飴山 實(1926-2000) 飴山實が神戸にいた小生のところに、まことにときどきだが、ぶらりとやってきて、彼も小生も所属していた俳句同人誌「風」のことや、当時小生たちが問題にしていた「俳句と社会性」のことなどをあれこれと喋っていたのが、 ...

金子 皆子(1925-2006)(金子兜太夫人) 亡妻皆子(本名みな子)が俳句をつくりはじめて間もなく、俳誌「風」(沢木欣一発行の同人誌)の「風賞」を受けたのが28歳。以来つくりつづけて、小生が世話役をしていた俳句同人誌「海程」の「海程賞」も受ける。63歳で現代俳句協会 ...

兜太の惹かれる俳人は、漂泊の人間です。井月は武士を捨て伊那の地で俳句を読みつづけました。 ...

栗山理一先生を日頃から尊敬していましたね。 ...

三橋 敏雄(1920-2001) ずいぶん昔になるが、長崎に住んでいたとき、この人から手紙を貰ったことがある。長崎港に近い海を航行中だが、寄港しない。元気に。という簡単なものだったが、南支那海の海の匂い、この人の体臭を込めて、たしかに小生に伝わってきたのである。海 ...

 昭和33年6月稲葉直創刊  朴の葉の直下は野迫川(のせがわ)村北股    稲葉 直 【海程同人】  『海程』平成二年(一九九〇)七月号掲載。このところますます地名への関心を高めているので、こうした句には殊に引かれる。私は「野迫川村」が何処にあるか知らないし、 ...

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