カテゴリ: 兜太の山河

蛭田 秩父の農家に育ったお父さんが何故医者になろうとしたんですか。兜太 秩父谷の事情というのがおわかりにならないと思うので言っておきます。秩父谷ではその頃、農家は養蚕で支えられていたのですが、繭値が年中揺れていますから、そう豊かな農家というのはなかったで ...

写真家の蛭田有一氏が金子兜太にインタビュー、「わたしの骨格自由人」からアップさせて頂いています。母はると兜太1.「金子家の人々」母 はる蛭田「長寿の母うんこのように我を産みぬ」という句がありますが、金子さんをうんこのように産んだお母さんはどんな人でしたか。 ...

 右 みな子さん 妻のみな子が今年(二〇〇六=平成十八年)の三月二日に他界して、早くもこの年が終わろうとしている。腎臓癌だった。癌は途中から肺臓にも出現して、丸九年を患った。本人にとっても家族にとっても、難病との闘いの歳月だったわけだが、とくに、近親に女 ...

 立禅・亡くなった人たち120人位の名前を言うのが日課 私はいま(二〇〇六=平成十八年)八十六歳だが、体調良好で、日頃診てもらっているお医者さんからは七十はじめくらいの体といわれている。そんなこともあって、暦の年齢はまで、肉体年齢こそ実なり、と確信し、あちこ ...

 兜太夫人のみな子さんと息子の真土さん 「老俳」と書いたが、本音は「壮俳」といいたいところ。暦の上の年齢では、今秋(二〇〇三=平成十五年)の九月二十三日で八十四歳になるのだが、肉体年齢では六十代後半なり、とおもい定めているからである。まだ「老」とはいいた ...

  一九四四=昭和十九年、私は海軍主計中尉として、激戦のトラック島に赴任しました。そのとき嵩張らないで手軽に読める一冊として、戦地に携えていったのが岩波文庫の『万葉集』でした。 日々の戦闘のなか、私は心の渇きを潤すかのように、時々『万葉集』を拾い読みして ...

皆野町にある句碑 「夏の山国 母いて我を 与太という 兜太」 私か俳句をつくりはじめたのは、旧制高校二年のときで、一年先輩の出沢珊太郎(本名三太)に勧められて、はじめて俳句会というものに出席した。そこで出した句、「白梅や老子無心の旅に住む」が、なかなかに ...

    私か俳句をつくるようになったのは十八歳のときだが、以来七十年に近い歳月を、ずうーとつくりつづけて現在(二〇〇四=平成十六年)に至っている。すこしも飽きない。それどころか、ますます頼母しい表現形式と思っている。 山国秩父(埼玉県西部)で育った私の体 ...

    裸子の頭剃りをり水ほとり     高浜虚子 曹洞宗龍淵寺(熊谷市上之)の寺庭に、この句碑がある。句碑が建立され、除慕がおこなわれたのは、一九七一=昭和四十六年の五月二日だった。なぜこの日をはっきり覚えているのかというと、わたしが上之の田圃のなかに ...

熊谷を有名にした夏の気温、国内最高気温41.1℃!!     鳥雲に入る熊谷の堤かな        士朗 士朗は井上士朗。徳川幕府の寛政期に「三大家」として推重された俳諧師だが、本業は産科医で、こっちのほうも評判が高かった。寛政期といえば、中興俳諧期の蕪村と ...

    ヒバリ(画像は日本野鳥の会HPから借りました) 原中や物にもつか鳴鵈雲雀         芭蕉 はらなかや ものにもつかず なくひばり 芭蕉のこの句は、中山道でできたものらしい、と岡部の古い農家の人から聞いたことがある。かれこれ二十年ほど前のこと。  ...

        むさしのや野屎の枷に鳴雲雀         小林一茶  むさしのや のぐそのとぎに なくひばり 近世晩期の俳諧師小林一茶は、中山道をしばしば往復している。数えの十五歳で、生まれ故郷の柏原(現・長野県上水内郡信濃町柏原)を離れ、江戸に出て来 ...

 廿日路(はつかじ)の背中にたつや雲の峰  蕪村 「廿日路」は中山道のこと。江戸期、一日の行程を平均七里(約ニハキロ)として、里程を日数であらわすことがあった。江戸から京都まで、東海道一二五里余、中山道が一三五里余。ほぼ廿日かかるということで、中山道をこう ...

4 山 風  山風(やまがぜ)の荒らべる日なり栗拾う     村田 柿公(しこう) 一気に書き切った句で、題材に格別の工夫はなく、読む大によっては単調と受け取るかもしれない。しかし、いくどか読み返してみるがよい。読み返すほどに韻律は力を加え、山を揺さぶる風音 ...

   頭上にのみ星は混みをり春隣    馬場 侈公子(いくこ) 山国秩父に住む人の空は狭い。頭の上にだけある感じだ。荒川や赤平川の流域はともかく、その支流ともなると空か狭くなる。南の脊梁山脈の根が盆地の地中に伸びてきて、そこから茸のように生えてきたたくさん ...

          海程50周年記念 「秩父音頭」 この峡(かい)の水上にゐる春の雷      金子 伊昔紅 作者伊昔紅は本名を元春といい、秩父盆地の中ほどにある皆野町皆野の開業医だった。医学校を出ると間もなく結婚し、陸軍軍医の兵役を丁えるとすぐ、上海に赴き、 ...

1 雁坂越え 甲斐が嶺(ね)を秩父へ越ゆる落葉かな     長塚 節 江戸のころ、甲州の川浦(現・山梨市)の番所から、秩父側の栃本(現・秩父市)の関所まで雁坂峠を上って、八里八町(約33キロ)。栃本の人たちは、この峠越えの道を「八里八町」とも呼んでいたよう ...

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